辻彩が吉良吉影を整形した理由
ジョジョの奇妙な冒険第4部「ダイヤモンドは砕けない」は、日本の地方都市杜王町を舞台に、町に潜んで15年間人を殺し続けている正体不明の殺人鬼の凶行を、主人公の東方仗助たち杜王町のスタンド使いが終わらせようとする物語である。
この殺人鬼「吉良吉影」は4部中盤で、空条承太郎や仗助たちに顔も名前も知られてその場から逃亡する。そして彼は、スタンド使いのエステティシャン辻彩の店に逃げ込み、彼女の能力で自分の顔を別人に整形させた後、彼女を殺害する。こうしてその別人、自分と同じく杜王町に住む「川尻浩作」の顔と身分を得た吉良は、これまでどおり正体不明のまま、杜王町に住み続けることが可能となった。
つまり辻彩が行った整形によって、吉良吉影の捜索は半ば振り出しに戻ってしまったわけである。それゆえに彼女の行動は一見すると「殺人鬼の脅しに屈した」だけとも受け取れる。
しかし結論から言えば、辻彩は杜王町のスタンド使いの一人として間違った判断はしていない。そしてこのことを説明するために、まずはその前段となる吉良の逃亡開始のシーンから説明していくことにする。
自分の左手を切り落とし、左手に宿るスタンド「シアーハートアタック」で仗助たちを足止めして逃げ出した時点での吉良は、杜王町から脱出する覚悟を決めていた。顔も名前も知られ、左手も無い状態では杜王町に潜み続けることなど不可能なのは明らかである。そしてこの時の吉良には、シアーハートアタックの足止めで稼げる時間と自分に残るキラークイーンの能力、そしてこれまでの15年の人生において自分を守り続けてきた強運があれば、どのようにでも逃げ切れる勝算があった(具体的な方法としては、ひと気のないところでケガをアピールして車を止めさせ、その車を奪うなどが考えられる)。
しかし何10秒か逃げたところで吉良は、自分の左手首が引っ張られるのを感じ、「ケガを治せる」とかいう東方仗助のスタンドが、「治した左手」を利用して自分を追いかけてきていることを知る。そして吉良はその瞬間に、杜王町から逃げ出さずに済むアイデアをひらめき、自分と背格好が似た男、川尻浩作を捕まえ、辻彩の経営するエステ「シンデレラ」へと向かう。
シンデレラに入った吉良は計画的に行動し、殺した川尻浩作の顔や指紋を辻彩のスタンドで自分に移植させ、その後に辻彩を動けない状態にして爆弾を仕掛けて店内の中央に転がし、そのそばに男の死体も置き、裏口から外に出る。その後で、店内に入った仗助たち追跡者が、状況の把握や辻彩との会話に時間を取られているうちに左手が裏口へ向かい、タイミングよく起爆スイッチを入れれば、辻彩と川尻浩作を消し去って証拠を隠滅すると同時に、爆風で仗助たちを足止めして、左手が裏口の外にいる通行人たちの誰に戻ったのか確認されないことが可能となる。
これが上手くいくかは吉良にとっても賭けだったろうが、その賭けは見事成功し、吉良は通行人に紛れて逃げ切ることができた。
ここで重要なことは、吉良吉影が杜王町にとどまり続けるには、「左手が治る」「整形される」この両方に成功する必要があり、どちらが失敗しても吉良はやはり杜王町から逃げるしかなくなるという点である。
仮にそうなって吉良が杜王町から逃げ出し、追跡を振り切った場合、この殺人鬼の捜索はほぼ完全に振り出しに戻る。その後の捜索はおそらくスピードワゴン財団が主導で行うことになり、財団は日本全国はもとより国外逃亡も視野に入れて、吉良の逃亡経路を示す痕跡・日本各地の行方不明者の増加・そして吉良が左手を失ったままなら左手の無い者・吉良が整形されていなければ彼の顔写真を頼りに捜索を続けるだろう。一方で吉良は知恵を絞ってそれらの追跡から隠れ続け、しかし衝動が抑えきれない時には殺人を行うだろう。
そしてさらにこの場合、吉良が逃げた土地には杜王町と違って、「スタンド使い」は高い確率で一人もいない。それはつまり、財団が運良く吉良の潜む土地を突き止めるまでは、この殺人鬼は完全に野放しになるということを意味する。
以上のように、吉良を追う者たちからすれば、実は吉良が杜王町から逃げたほうが都合が悪い(無論これは「吉良が追跡を振り切った」場合の話であり、空条承太郎やスピードワゴン財団はそうならないように全力を尽くすだろうが)。しかし吉良はリスクを取ってでも杜王町に残り続ける道を選んだ。つまり吉良が辻彩に迫った整形は、一方的な脅迫ではなく、「吉良」と「吉良を追う者」の双方に利がある「取り引き」なのである。
またこれは推測になるが、他者の運勢を操る能力を持つ辻彩は、吉良吉影が持つ恐ろしすぎる強運を感じ取り、この男が町から逃げる道を選べば間違いなく逃げ切ると確信したのかもしれない。
そして以上のことを踏まえて考えるなら、作中で死にかけの辻彩が仗助たちに取った言動は、全て「演技」である。つまり、辻彩はこの場では吉良を逃がしたほうがいいと考えているが、仗助たちは今この場で吉良を逃がすまいとしている。そして辻彩が自分の考えを正直に説明したところで、仗助たちはもちろん承太郎も今吉良を逃がさないほうを選ぶだろう。ならば本心は隠し、演技によって時間を稼ぐのが上策と考えたわけである。
もし辻彩が吉良吉影の整形を拒み、吉良が杜王町から逃げ出せば、杜王町での殺人は終わり町は救われる。だがその代わりにどこかよその土地が吉良吉影による殺人を背負うことになる(それはジョジョ7部でヴァレンタイン大統領が語った、「自分以外の誰かに不幸のヘタを掴ませる」ことに相当する)。そしてこの結末は、この殺人鬼の凶行が止まることを心から願う杉本鈴美や杜王町のスタンド使いたちにとって、非常に後味の悪いものである。
辻彩がこの町の出身なのか、たまたまこの町に店を構えていただけなのかは不明である。ただ彼女の決断は杜王町の一員として正しく、また彼女が自称する「魔法使い」としての美学、信賞必罰の思想にも則っている。吉良吉影は杜王町が生み出した怪物であり、その責任は、たとえ杜王町で殺人が続くとしても、杜王町の住人が背負うべきものなのである。