SBR世界で書き換わる「過去」と「記憶」

■ジョジョの世界では6部の終盤に、あるスタンドの強大な力によって、世界の崩壊と再生が引き起こされている。それは人類の未来の可能性をたった一つに収束・固定し、人類に「永遠の幸福」をもたらすためのものであった。しかし結果としてそれは不完全に終わり、世界は収束の力の反作用で逆に、可能性を大きく拡散させてしまい、無数の「並行世界」を生むことになる。

■そうして存在する一巡後の世界である「スティール・ボール・ラン(SBR)」の世界には、「聖なる遺体」と呼ばれるものがあり、これは無数の並行世界のうち、たった1つの世界にしか存在しないとされる。その1つこそがSBRの物語が紡がれる世界であり、作中ではそれは「基本の世界」と呼ばれる。SBR世界でこの「世界の真の構造」を知るのは、「並行世界を行き来できる」スタンド能力を持つファニー・ヴァレンタイン大統領と、彼の能力を体験した者だけである。

■しかし正確には、遺体のある世界が「たった1つ」というのは誤りである。聖なる遺体は作中で語られているとおり、「左腕」「心臓」など9つの部位に分かれている。そしてそれらは無数の並行世界の「たった1つ」ではなく、それぞれが「別の世界」に散らばっている。SBRは基本の世界がそれを取り巻く無数の並行世界の中を進みながら、他の遺体部位がある世界と巡り会い、融合していく物語なのである。(そしてこの物語世界を見る「読者」視点からは、この世界内の「過去」や「記憶」がたびたび書き換わっているように見えるのだが、それについては後述する) 

■ここで少し話を変える。人が考えた思考実験の1つに、「世界5分前仮説」というものがある。その内容は、我々が生きるこの物質世界は今から5分前に全てが出来上がった状態で始まった、そう考えることに何の矛盾もないというものである。これが真実だとした場合、5分より前の物理的な過去は実際には存在せず、我々が世界の中に見る「過去の痕跡」や脳内の「記憶」は、まるでゲーム世界内の初期状態のように、そう設定されて始まったに過ぎないということになる。

■この仮説は証明も否定も不可能な、あくまで思考実験でしかない。しかし人の作り出す「物語」ではこれと似たことが起こっている。物語の世界はキャラクターや舞台設定を用意された上で、第1話を始まりとして「創造」される。ただし、物語世界における「過去」は5分前仮説のそれのように厳密ではなく、回想シーンなどとして描かれる時までは「確たる形」では存在しない。

■この考え方を用いるとSBRの世界が創造されたのは、物語が紡がれ始めたSBR開催一月ほど前ということになる。しかし、かの世界での物理的な現実はもう少し変則的である。SBR世界はおそらく、「聖なる遺体の心臓」がアメリカ大陸の西端でファニー・ヴァレンタインの体に入り込み、その体内で「鼓動」を打ち始めた時に創造され、時を刻み始めた。そしてヴァレンタインは「心臓の世界」で、政治家としての地位を固めながら次なる遺体部位を探し求め、それが後にアメリカ大陸横断レース「スティール・ボール・ラン」の開催につながることになる。

■そしてSBRレースで次なる遺体部位が発見されると、近づいた2つの水滴がくっつくように、2つの世界は融合する。そしてそのたびに基本の世界の「過去」は、融合した遺体部位の世界の過去と混じり合って書き換わる。また世界の住人が持つ「記憶」もそれに応じて書き換わる。

■作中でサンドマン(砂男)の本名がサウンドマン(音を奏でる者)に変わったことも、SBRファーストステージまで面識がなかったはずのジョニィ・ジョースターとディエゴ・ブランドーの間に過去の面識が生まれたことも、これが原因である。それらは他の遺体部位の世界から持ち込まれたか、世界の融合の際に生じた過去なのである。

■このような「過去と記憶の改変」は見方によっては、そこに生きる者の「精神的な核」とでも呼ぶべきものを大きくぶれさせているようにも見える。しかしそれは正しくない。SBR世界での改変は原則として、精神的な核を「深める」方向にのみ起こる。例えばジョニィ・ジョースターには「父親に見捨てられた」という過去があり、レース開催前の回想ではそのきっかけは下半身不随になった事件であった。しかしSBR第5ステージの回想では、そのきっかけはもっと若い時代に端を発する、より複雑で根深いものとなっている。

■このようにSBR世界では世界の融合が進むほどに、そこに生きる者たちの「過去の背景」は複雑化していく。そして全ての遺体部位が揃った時、SBRの世界は真の姿となって完成する。それは例えるなら、彫刻家が石の塊から最初は大ざっぱに、そして段々と細かく形を削り出していくさまに似ている。(なおSBRレーススタート時にお披露目され、その後描かれることのなかった「優勝カップを埋め込んだ聖氷」は、あるいはこのさまを表すものだったのかもしれない) 

■人が作る物語の世界は、多くの出来事が描写されるほどに曖昧さを失って「たった1つの姿」へと近づいていく。この現象はSBRの世界でも起こり、遺体が揃うほどに基本の世界は曖昧さを失い、またそこから行ける並行世界は狭く「収束」していく。

■ちなみにヴァレンタイン大統領は、初登場時の小太りの体型が、終盤に向かうほどに痩せて引き締まっていく。この変化はおそらく彼の能力が影響して、「世界の収束」をその身で体現するかのように起こったものである。(そしてアメリカ国民の記憶にある大統領の姿もそれに応じて書き換わる) 

■SBR世界に生きる主要な登場人物たちは、主人公であるジョニィとジャイロを始めとしてみな、過去すら書き換えて深められていく「宿命」を背負っている。そして彼らはこの根深い宿命に立ち向かい、それを乗り越えようとしている。その「今」と「未来」こそが彼らの生きざまであり、生きる目的であり、そしてこの物語が紡がれる意味なのである。

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