人には安心を。世界には安定を。そして神には安息を。

メイド・イン・ヘブン MADE IN HEAVEN

2023/02/09改訂

本体名:エンリコ・プッチ

神父、DIOの親友、ウェザー・リポートの双子の兄、
エピソードJC78(15)巻P8〜

能力:時を加速・一巡させ、「天国」へと至る

スタンド形成法射程距離パワー
身体・能力加形体 2m

当ページの要点

  • メイド・イン・ヘブンが加速させるのは周囲の世界の時間ではない。
  • メイド・イン・ヘブンが加速させるのは生物が未来に進む速度である。
  • その結果、生物に対して周囲の世界の時間は早回しに見える。
  • 「天国」とは人類が必ず幸せな結末へと辿り着ける世界である。
  • しかしそれと引き換えに「天国」での人類は、その行動を運命に強く束縛される。

スタンド解説

メイド・イン・ヘブンは、ジョジョの奇妙な冒険第6部「ストーンオーシャン」のラスボスであるエンリコ・プッチ神父が、6部の最終盤に「天国」なる世界を作り出すために発現させたスタンドである。

プッチ神父

かつてプッチ神父の親友であったDIOという男は、「天国」の実現を目指し、「天国へ行く方法」を1冊のノートに記していた。そこに書かれていたのはDIOのスタンド「ザ・ワールド」を材料に「新しいもの」を生み出し、それを「適性を持つ人間」と融合させることで、「天国」に到れるというものであった。

DIOとザ・ワールド

この「新しいもの」とは「人類がはるかな未来に辿り着くべき幸福な結末を宿すもの」であり、「適性を持つ人間」とは「人類の絶対なる幸福を望む者」プッチ神父である。そして彼がノートに記された手順を最後まで実行した結果、プッチ神父がもともと持っていたスタンドが進化して発現したのがメイド・イン・ヘブンである。

メイド・イン・ヘブン

メイド・イン・ヘブンは変則的な姿の人型スタンドであり、人の上半身に馬の前半身を下半身のように付けた姿を持つ。その背中と臀部(馬の途切れた胴体部分)は1本のパイプで結ばれ、馬の口に嵌められた轡(くつわ)から伸びた手綱は人部分の手によって繰られる。また、人部分の顔の両目と鼻があるべき場所には1つの大きな円形の、時計の文字盤かメーターを思わせる計器が嵌め込まれたようになっており、これと同じものは馬部分の額や両手の甲など身体各部にも嵌め込まれている。


「はるかな未来」をその身に宿すプッチ神父を本体とするメイド・イン・ヘブンは、「今」という時の束縛から完全に解き放たれている。そしてこのスタンドは、自らが本来あるべきところ、はるか未来の「時の果て」に眠る「人類の正しい結末」からの重力に引き寄せられ、地表から宇宙へ飛び立つスペースシャトルのように、時の中を「今から未来へと落下する」能力を持つ。

さらにメイド・イン・ヘブンが持っている強大な魂の重力は、世界中の全ての生物をも「今」から引き剥がして時間方向に引き寄せる。これにより、世界の全生物もこのスタンドと共に「未来」へと旅立つことになる。

なお、メイド・イン・ヘブンの姿はおそらく、人部分が魂の重力を生み出し全生物を乗客として運ぶ「シャトル」の役割を、馬部分が時の果てからの重力を推進力として飛ぶ「ロケット」の役割を、それぞれ担っていると考えられる(作中でプッチ神父がこのスタンドを発現させた時、ケネディ宇宙センターのスペースシャトルに乗り込んでいたのは極めて象徴的といえる)。

メイド・イン・ヘブンが発現して未来へと「発射」される瞬間、その姿は(シャトル発射時の轟音のように)目も眩むような閃光を発し、周囲に居た者は(シャトル発射時の爆風のように)強制的に200mほど遠ざけられる。

また生物たちがメイド・イン・ヘブンの魂の重力に引っ張られて「未来」に飛び立つ際には、生物たちは慣性の法則によっていったんメイド・イン・ヘブンに置いて行かれる。しかししばらくすればメイド・イン・ヘブンの上昇速度に追い付き、以降メイド・イン・ヘブンと全生物は同じ時間に並んだまま上昇を続けていくことになる(作中で空条徐倫たちがしばらくプッチ神父を見失っていたのは、プッチ神父が徐倫たちより「未来」にいたからである)。


メイド・イン・ヘブンに導かれ「今」から飛び立った生物たちは、このスタンドとともに時間の中を加速しながら「時の果て」へと上昇して行く。そしてこの間、生物たちに対して非生物の物理現象は、上昇速度に比例してビデオの早回し映像のように速く流れていく(手から離した物は一瞬で地面に落ち、時計の分針は目に見える速度で回るなど)。

目に見える速度で回る分針

これは例えば、人間が走る30倍の速度で移動する新幹線の中では、窓の外の景色は走る30倍の速度で背後に流れていくのと同じことである。つまり時間の中を通常の30倍の速度で進む生物たちから見て、非生物の物理現象は通常の30倍の速度で「過去へと流れていく」わけである。そして自分たちが時の中を速く進んでいるという自覚の無い生物たちは、この現象を見て「周囲の時が加速している」と感じることになる。

なお「時の加速」中でも、生物の肉体にかかる地球からの「重力」や、非生物がぶつかるなどして受ける「運動エネルギー」は、加速の倍率に比例して増えたりはせず、通常時とだいたい同じである。

また「時の加速」中に生物が死んだ場合、非生物となった死体はメイド・イン・ヘブンの重力が引き寄せる対象外となって「上昇」から脱落し、非生物とともに「過去へと流れていく」ことになる。


上記のようにメイド・イン・ヘブンの能力下では、生物から見て非生物は目まぐるしく変化し、その速さについて行けない状態にある。ただし唯一、この能力の本体であるプッチ神父だけは、この状態の中でも「非生物の時間の流れに自らの精神速度を合わせる」ことが可能である。ただし肉体のほうは他の生物と同様に、非生物から見て遅い時間の流れの中にある。

この状態のプッチ神父には、周囲の非生物の時間は通常どおりに流れているように見え、自らの肉体も普段より負荷はかかるものの精神の速度に合わせて動かせる。またこの状態では、プッチ神父は自らの肉体にかかる重力を、精神速度に反比例して軽く感じることになる。

この結果プッチ神父は、数10分の1の低重力下で跳ね回る動きを、他の生物から見て数10倍の速度で行うことができ、その目にも止まらぬ動きから繰り出される超スピードのスタンドの手刀は鋭利な刃物のように敵の肉体を鋭く切り裂く。

数10倍の速度で動くプッチ

ただし、「時の加速」が速まるほどにプッチ神父はその速度に完全に同調することは難しくなっていく。その最大速度は作中での描写を見る限り、50〜60倍ほどが限界のようである。


「時の果て」へと落下していく能力であるメイド・イン・ヘブンは、能力発動から時間が経つほどに落下速度が増していき、生物から見た非生物の速度は数百・数万・数億倍……と際限無く加速していく。そして例えば加速が10万倍の時点では1秒足らずで1日が経過し、1億倍では1秒足らずで3年が経過する。

その中で生物たちは、昼夜の点滅を超え光の帯と化した太陽が白夜のごとく空を灰色に照らし、建造物や衣服がどんどん風化して崩れ去り、大陸プレートの移動で変化していく地形がそれと同じ速度で風雨にならされていくさまを目撃する。

光の帯と化した太陽
大陸プレートの移動で変化する地形

こうして加速度的に崩壊に崩壊を重ねていく世界がそれ以上崩壊できなくなったところ、そここそが世界の終わり、「時の果て」である。


「時の果て」は、物理的に言うところの「エントロピーによる熱的死」を迎えた世界である。そこには生物以外に形あるものは何も無く、ただ「何物でもないものが均質に存在する」のみである。そしてこの状態は、世界が誕生する前の「時の始まり」と物理的に全く同じ状態でもある。

世界が「何らかの姿を持つ」間は、その姿は無限に等しいパターンを持ち、そのパターンが違う時間において全く同じとなる可能性は有り得ない。しかし、世界が「いかなる姿も持たない」「時の果て」と「時の始まり」においてのみ、そのパターンはたった一つであり、確実に同じ姿となる。

ゆえにこの2つの時間は物理的に結ばれ、時は「環」となってループし、終わりからまた始まる。そしてこのような性質を持つがゆえにそこは、「特異点」と呼ばれる。

時の円環と特異点

重力の源である「時の果て」へと辿り着いた時点でメイド・イン・ヘブンの「落下」は終わる。しかしメイド・イン・ヘブンはそのまま「特異点」を突き抜け、以降はここまでで得られた速度の慣性によって、減速しながら時の中を「始まり」から時の加速が始まった「今」へと戻ることになる。そうして時を一巡し、時の旅を終えた生物たちは、前の地球とは似て非なる新世界へと降り立つ。


時の一巡によって生物たちが辿り着く新世界は、「一巡してきた者たちの存在を必然として、世界の残りの部分を補完・再構成した」世界である。前述したように、世界は無限に等しい姿を可能性として持ち得る。その無限の姿の中には、地球が存在しない世界も、人類が誕生しなかった世界も、我々とは違う歴史を歩んだ人類の世界も、とにかく物理的に可能な全ての姿がある。そのような無限の姿の中から、「一巡してきた者が」「その時」「そこに」存在することが必然となる姿が選択されたもの、それが新世界の姿となる。

このため新世界は、外形的には一巡前の世界とほぼ同じ姿となる。なぜなら「一巡してきた者たち」の存在がその世界で必然になるということは、前世界でその者が存在するに至った過去の事象も、新世界でもほぼ同じように存在したということになるからである。

新世界には太陽・地球・大気といった人間が生存するのに必要な環境はもちろん、生命が誕生・進化し恐竜が滅び人類が誕生した生命の歴史も、人々が集まり国家を形成し争ってきた人類の歴史も、その舞台となった大陸・山脈・海洋の地形も、人類が発展させてきた文明の産物である建造物や道具も、瑣末な違いはあるかもしれないが、ほぼ変わることなく存在する。

ただしこれら世界の変化はあくまで副次的なものでしかなく、メイド・イン・ヘブンの能力には真の目的がある。それは、ある存在の意思のもとに世界を生まれ変わらせ、その意志が紡ぐ「物語」によって全人類に「真の幸福」をもたらすことである。

大いなる物語

我々が生きる「現実の世界」と、人が作り出す小説・映画・漫画といった「物語の世界」、この両者の違いの一つは、「物語の世界」にはその世界を作り出した「作者」と、作者によってその世界での出来事に与えられる「作為」が存在することである。

作者が存在する「物語の世界」では、作者は物語を紡ぐために必要な人物や集団を「登場人物」として、場所や状況を「舞台」として作り出し、それらの関わり合いを一見自然に、しかしその実作為的にコントロールしながら、物語を自らの望む「結末」に向けて進めていく。

そして物語の登場人物たちにはこれらの作為を知るすべはない。ゆえに彼らは、自分の周りで起こる出来事や、自分の行動や決断さえもが作者によってコントロールされていること、そして自分の迎える結末が作者から与えられたものだということも自覚できない。

これに対して「現実の世界」には、「物語の世界」のような作為は存在しない。そこでは全ての人間や集団はそれら自身の自由意思によって活動しており、また非生物が起こす物理現象は単に偶然や成り行きでそうなっているに過ぎない。

しかしもし、この現実の世界に「神」と呼ばれるものが存在し、何らかの目的を持って世界に干渉しているとするならば、我々が生きるこの世界もまた、神によって紡がれる一つの物語である。神は自らの望む結末に向けて、必要な人物や集団・場所や状況を選び出し、あるいは作り出し、それらをある結果にならざるを得ないように仕向けることで物語を紡いでいく。

そして物語の登場人物が作者の作為と目的を自覚できないように、我々も自分の存在・自分に起こる出来事・自分の行動や決断のどこまでが偶然や自由意思によるもので、どこからが神によって仕組まれたものであるのか、そして神が何を望み我々をどこへ導こうとしているのか、知ることはできない。

天国

プッチ神父と融合している「新しいもの」は、それが誕生する際に演算した「人類の正しい結末」をその身に宿している。そしてメイド・イン・ヘブンはその導きに従い、「人類の正しい結末」を目指して未来へと飛んで行く。

しかしそれはこの結末に辿り着くために必要な「過程」を飛ばした行いであり、また世界を先に進めるべき全人類もメイド・イン・ヘブンに同行しているため、世界は「人類の正しい結末」ではなく、崩壊の一途を辿った果てに「特異点」へと至る。またしかしこの「特異点」は、「いかなる姿も持たないがゆえにあらゆる可能性が眠る世界」でもある。

そしてメイド・イン・ヘブンは自らを「磁針」として、特異点の中にある「人類の正しい結末」の座標へと引き寄せられ、辿り着く。ここでの「人類の正しい結末」には実在がなく、メイド・イン・ヘブンと共にそこに辿り着いた人々はそれがいかなる世界であるかを直接見ることはない。

しかしその座標において、「人類の正しい結末」は全人類一人一人の精神の奥底に「記憶」される。そしてその後全人類がメイド・イン・ヘブンにさらに運ばれて「今」へと戻り着き、「時の環」が完成することで、「人類の正しい結末」は「未来に実現される絶対の運命」として固定されることになる。


「人類の正しい結末」への到達が運命づけられた世界では、この結末を「結果」として引き起こすための「原因」、その「原因」を「結果」として引き起こすためのまた「原因」というように、結末から過去へと逆算される「因果」の全ても実現を運命づけられる。

片や「今」へと戻り着いた人類の側は、その一人一人の力量・性質・潜在能力によって実現しうる「可能性」の中から、「人類の正しい結末」への到達に寄与し得るものを選び出される。そしてそれらの「可能性」は、上述した「逆算される因果」にジグソーパズルのピースのように当てはめられていく。

こうして「人類の正しい結末」への到達に必要となる「因果」の全てが、人類から得られる「可能性」によって埋められた時、「今」から「人類の正しい結末」へと至る道は完成し、その道にある全ての出来事は、この世界で必ず起こる「運命」として固定される。

すなわち人類は、この先の「歴史」の全てを決定される。それは例えば人類レベルではいつ戦争が起こり、いつ時代の転換が訪れるかであり、また個人レベルではいつ誰が何を成し、誰と結ばれて子を残し、いつ死ぬのか、といった全てである。

またこの「人類の正しい結末へと至る道」の形成によって世界は、時代の停滞や回り道といった無駄が省かれて効率化され、さらには核戦争による人類の滅亡といった危険からも免れることになる。


こうして未来の出来事が全て「運命」として決定された新世界では、それら出来事の全ては人々の精神の奥底に「記憶」されている。そして人々はそれらの記憶を、水中を浮かび上がってくる泡を水上から見るかのように、「予感」として事前に知覚する能力を与えられる。

この予感は、その出来事が自分に関わりの深いほど、その出来事の規模が大きいほど、その出来事の起こる時が近づくほど、よりはっきりとしたイメージとなって現れる。例えば、それが個人の身の回りに起こる些細な出来事程度であれば、その予感は小さな泡のように、その当人とその場に居合わせた者に直前に唐突に現れるだけである。

直後の出来事を予感するエンポリオたち

一方それが人類の歴史に関わるほどの出来事であれば、その予感は海底からゆっくり浮かび上がってくる巨大な泡のように、何年も何10年も前から人類全体におぼろげなイメージとなって現れ、その姿はそれの起こる時が近づくほどにはっきりしたものとなっていく。


時の一巡を体験して新天地に降り立った人々は、始めのうちはこの「予感」の能力と、予感の示す出来事がどうあがいても決して避けられない「運命」であるという事実に戸惑うだろう。しかし人々はやがて、予感として示される出来事がたとえその時はつまらない出来事に思えたとしても、それが原因となって次の出来事に繋がってゆき、いつか必ず重要な意味を持っていたことに気付くだろう。

また生まれ変わった世界で人々は、繋がっていく運命の果てにあるもの、記憶のはるか奥底に眠る「人類の正しい結末」の予感を、微かな光のようなものとして感じるだろう。その予感は今はまだあまりに遠く、おぼろげな輪郭さえ掴むことはできない。それゆえに「人類の正しい結末」において、人類自身がさらに進化することになるのか、人類の生み出した何かが人類の後を継ぐことになるのか、それとも今の我々の想像力など全く及ばない何かが起こるのか、それも分からない。

ただ確かなことは、この世界はそれを実現するためにこそ存在し、そうである以上それは、世界を構成する一部に過ぎない人類・個人のいかなる疑いも抗いも超越した「絶対の正義」にして「絶対の価値」であるということ。そして「人類の正しい結末」への到達が確定され、人類がそこへと滞りなく進んでいくということは、新世界へ辿り着いた者たちと、これから産まれ来る者たちはその全員が、誰一人として無駄になることなく「人類の正しい結末」の礎になれるということである。

人々はいつしか世界の中に、運命を紡ぎ世界を導く不可視の存在、「神」と呼ばれるものの存在を認識し、生まれ変わった世界は神の影響力・支配力が強まり、神の意思のもとに統一・効率化された世界であることを理解するだろう。そして、自分に起こる運命は神から託された自分が果たすべき「使命」であり、運命を予感する能力は自分たちに運命への心構えを与える神の「啓示」であり、「人類の正しい結末」の啓示は全人類の存在意義を証明する神の「祝福」であり、そこへと至るために自分たちが歩んで行く道は神が最善を尽くして導く「正しい道」であると受け取るだろう。

もしかすると一部の人々は、自分の意思や感情すら操り導く「神からの運命」に疑いを抱き、抵抗を続けるかもしれない。しかしそれらは運命の力の前に無駄に終わり、そうして世代が移り変わり、新世界で産まれ「神からの運命」を空気のように当然のこととして受け取る者たちが人口の大半を占める頃には、人類は新しい世界に適応した新しい生き方を見出し、「神の紡ぐ物語」に身も心も捧げて生きるようになるだろう。

この段階に至った人類にはもはや真の意味での不幸は存在せず、たとえどれほどの苦しみや悲しみが、この先の自分や自分の大切な人たちの人生、果ては人類の歴史に啓示として与えられようとも、それらに絶望することなく、祝福という絶対の希望へ辿り着くために避けては通れない正しい道、その途上にある果たすべき使命として、揺るぎない覚悟をもって乗り越えていけるだろう。

そしてこのように、人々が心に強さと誇りを携え、神と共に歩み神の喜びを共に分かち合い、いつか人類の物語が終わる日までこの幸福が永遠に約束される世界、それこそが「天国」である。

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