「星」を「人」へ引き戻すロジック空条徐倫の母親
当ページの要点
- 空条徐倫の母親にして承太郎の元妻である女性は、その特別な立場の割には平凡すぎる性格をしている。
- しかしそれは裏を返せば「人間として真っ当な性格をしている」ということでもある。
- 徐倫は父親の承太郎より人間らしい性格をしているが、それは母親から学び受け継いだものである。
- そしてそのような徐倫の母親は、承太郎の父親の空条貞夫とは逆の存在といえる。
ジョジョの奇妙な冒険第6部「ストーンオーシャン」は、ジョジョ3部の主人公である空条承太郎の娘、空条徐倫を主人公とする物語である。
3部の時点で17歳の高校生だった承太郎は、1989年初頭にDIOを倒して日常に戻った後、どういういきさつかは分からないが一人のアメリカ人女性と知り合い、彼女と結婚し1992年に娘の徐倫を儲ける。
そしてこの徐倫の母親は、6部の序盤と、中盤の徐倫の回想シーンで2回だけ登場する。彼女は2011年時点では、アメリカのフロリダ州で徐倫と一緒に暮らしており、承太郎とは離婚している。
ただその登場シーンで描かれた彼女の言動は、承太郎と結婚していた人物にしてはあまりに普通で脇役然としており、そのためか名前すら明らかにされていない。
徐倫の母親以外で、ジョジョ6部までにジョースター家と子をなした女性は、エリナ・ペンドルトン、エリザベス(リサリサ)、スージーQ、東方朋子の4人がいる。彼女らの作中での出番は多かったり少なかったりするが、いずれも個性豊かな女性として描かれている。一方で徐倫の母親は彼女らとは対照的に個性が見えない。
しかしこのような徐倫の母親の人物像は、ジョジョの世界を「ジョースターの血統が進化していく物語」として見た場合、そうなる必然性がある。
「星型のアザ」を持つジョースターの血統は、「星のように輝く魂」を持つ一族である。そして彼らは個性豊かな外部の血を取り入れて、世代を重ねるほどに、魂の輝きをより強くしていく。
そして承太郎はそれが繰り返された結果、魂の輝きが極限に達した「超人」的な存在である。しかしそれと引き換えに承太郎は、対人関係的な能力が大きく損なわれてしまっている。生まれた時から「超人」である彼は、それゆえに「人」から大きく遠ざかった存在であり、人の心の細かな機微をどうしても理解できない。
一方で空条徐倫は、言動の端々に「承太郎の娘」としての才覚を感じさせる部分もあるが、それと同時に「一般人」としての感性と感情と弱さも備えている。そしてそれらは母親から学び、受け継いだものなのである(ちなみに徐倫は母親を「泣き虫」と評しているが、徐倫自身もまた泣き虫である)。
徐倫の母親の言動があまりに平凡なのは、裏を返せば彼女が「人間として真っ当すぎる」からである。そして徐倫の母親のこの性質は、さまざまな個性を取り入れて複雑化していたジョースターの血統を、「人間として真っ当な状態にリセットする」ために必要なものだったのである。
そしてジョースターの血統に対して徐倫の母親が果たす上記の役割は、承太郎の父親である「空条貞夫」の役割とは逆のものといえる。
前述したとおり承太郎は極限に達した魂の輝きを持つ。そしてここでは詳しく解説しないが、「空」の名を持つ空条貞夫は、「星」の名を持つジョースターの血統を、超人的な「空」の領域へと引き上げ、承太郎を生み出す役割を担っていた。
これに対して徐倫の母親は、「空」へ至るのと引き換えに人間性が損なわれていたジョースターの血統を、再び「人」の領域へと引き戻し、徐倫を生み出す役割を担っているわけである。
ところでジョジョを読者視点から見ると、空条貞夫は名前と職業(がジャズミュージシャンであること)は分かっているが、姿と性格は不明である。一方徐倫の母親は姿と性格は分かっているが、名前と職業は不明である。これもまたこの2人が真逆の存在であることをよく象徴している。
ただ上記の理屈は前述したとおり、ジョジョの世界を「ジョースターの血統が進化していく物語」として見た場合のものでしかない。これに対してジョジョの世界を「現実の世界」と見た場合、承太郎は当然だが上記の理屈のために彼女と結婚して娘を作ったわけではない。承太郎と彼女は作中には描かれていない何らかの理由で惹かれ合い、結婚して子供を作ったのである。
ただその理由でも彼女が「真っ当に人間らしい」性格であることは無縁ではないだろう。「超人」として生まれ、人から遠ざかりすぎた承太郎は、おそらく彼女の「真っ当な人間らしさ」に強く惹かれた(そして逆に人間として普通すぎる彼女は、おそらく承太郎の「人知を超えた超人さ」に強く惹かれたのだろう)。
承太郎は作中で徐倫に「お前のことはいつだって大切に思っていた」と語っていたが、その思いは徐倫に真っ当な人間らしさを与えた元妻に対しても、間違いなく同じなのである。