「星」を「空」へ引き上げるロジック空条貞夫

■空条貞夫は、ジョジョの奇妙な冒険第3部「スターダストクルセイダース」の主人公、空条承太郎の父親である。

■ジョジョ2部の主人公であるジョセフ・ジョースターは、2部の終わりでスージーQという女性と結婚し、その後娘のホリィ・ジョースターが生まれた。このホリィが成長して、その夫となったのが空条貞夫である。

■しかしこの空条貞夫は、ジョジョ作中に1コマも登場せず、つまり顔や容姿は一切わからない。またそれ以外の情報も極端に少なく、わかっているのは3部1話で語られた「日本人でジャズミュージシャン」「現在演奏旅行中」ということ。あとは7話以降で描かれた、ホリィと承太郎が暮らす空条家が古風で広大な日本家屋であることから、相当に裕福で由緒ある家系らしいということだけである。(ちなみに空条家の表札には「空條」と書かれているが、「條」は「条」の旧字体である) 

■またこれに加えて、ホリィや承太郎が空条貞夫について言及や想起するシーンがないのも、情報の少なさに拍車をかけている。

■ただしここでいちおう断っておくと、そのようなシーンがないからといって、空条貞夫と二人の関係が希薄だとは限らない。実際には特にホリィは、夫のことをちょくちょく考えているだろう。ただその場面が読者に見せられていないだけである。

■そしてこのように、ジョジョ作中で空条貞夫の描写が皆無に等しいのには、「作劇的な」理由がある。その理由とは、「空条承太郎という超人の父親」に要求されるハードルが、天井知らずに高いからである。

■空条承太郎は、1〜2部の主人公であるジョナサン・ジョースターやジョセフ・ジョースターとは次元が異なる「魂の才能」を持っている。その才能とは、自分に降りかかる初見の問題を、「空」から眺めるような視点で解決できる才能である。

■例えば承太郎は3部終盤のテレンス・T・ダービーとのテレビゲーム対戦で、それまでテレビゲームに一切触れたことがなかったにもかかわらず、ほんの数分でコントローラーの操作からそのゲームの攻略法まで完全にマスターしていた。

■普通の人間が、初めて見る物事の扱い方を学び上達していく際には、壁に阻まれた迷路の中を手探りで進んでいくような過程が必要となる。しかし承太郎はその迷路をまるで空から眺めるように、迷いなくゴールへ進んでいけるのである。(ただしこの才能は「人間関係の問題」には上手く機能しないのだが、ここでは深くは触れない) 

■そして承太郎はこの「悟り」ともいえる才能ゆえに、平和な日本でたかだか17年生きただけの高校生でありながら、3部のラスボスであるDIO、120年余りを生きてきた吸血鬼に対して、同じ貫禄と同じスタンドの力で真っ向から立ち向かえる存在たりえている。これはジョナサンやジョセフが、自分より圧倒的に強大なディオやカーズに対して、真逆の力で立ち向かい、力の性質の違いに勝機を見出したのとは対照的である。

■ジョースターの血統は「スター」という単語を含むその名のとおり、「星のように輝く魂」を持つ一族である。そしてこの星の魂は、ジョジョ1〜2部の間は「地上」で成長してきた。ジョナサンは地上で人の世の正義と倫理を深く学び、ジョセフは地上の道具や場の状況を駆使して戦うすべを学んだ。

■これに対して空条承太郎の魂は生まれながらにして、より超俗的で概念的な「空」の領域にあり、彼の魂の才能はその賜物である。そしてジョースター家の「星の魂」を「地上」から「空」へと引き上げたのは、「空」の名を持つ「空条の血」なのである。

■ここで少し話を変える。聖書によると聖人イエス・キリストは、聖母マリアから人の子として生まれたが、彼の父親は「神の聖霊」なる人ならぬ存在であるとされている。イエスが「人間の肉体」を持つ以上、彼は「人間の母」から産まれなくてはならない。しかし父母ともに人間では、イエスほどの聖人の魂を生み出すには力不足である。ゆえにイエスの父側は人間ではない、人間を霊的に超えた何かでなければならない。

■そしてこうして生まれたイエスは、人の域を超えた霊的才能、「あらゆる状況で正しい言動を行える」才能を持つことになる。

■これを踏まえて、空条承太郎が持つ「空から万象を俯瞰するがごとき問題解決能力」もまた、「人の域を超えた霊的才能」である。つまり理屈上は承太郎の父親である空条貞夫も、人間を霊的に超えた何かでなければならない。

■「絵にも描けない美しさ」と歌われる龍宮城を絵に描くと矛盾してしまうように、空条貞夫は人間として描くと矛盾してしまう。このため空条貞夫はジョジョ作中に1コマも登場させられなかったのである。


■ただし実を言うと上記の理屈は、ジョジョの世界を「物語」として見た場合のものでしかない。これに対してジョジョの世界を「現実の世界」として見た場合には、また違う理屈が働く。

■「事実は小説より奇なり」ということわざがある。現実の世界で起こる出来事は、時として空想として描かれた物語の出来事よりも、奇妙で空想的な場合があるという意味である。

■そしてこれは、少し見方を変えれば当然とわかる。小説などの物語では、物語の流れを無視した唐突かつ意図のわからない出来事は、受け手側に受け入れられないため忌避される。このため物語で起こる出来事は、「物語的な説得力と必然性」という制約に縛られることになる。

■対して現実の世界で起こる出来事は、物理的に起こりうることであればどんな確率の低い出来事でも起こりうる。そしてそれはしばしば、脈絡も作為もなく突発的に起こる。

■以上を踏まえて、空条貞夫という承太郎の父親は、ジョジョの世界を「物語」として見た場合には、「物語的な説得力と必然性」によって、イエスの父親である神の聖霊のごとき存在になってしまう。

■しかしジョジョの世界を「現実の世界」として見た場合にはそうはならない。仮に空条貞夫が、息子の承太郎とは似ても似つかない凡人だったとしても、それはジョジョの世界の中では小説より奇なる事実、「トンビが鷹を生む」ということわざで片付く出来事でしかない。

■この二面性によって空条貞夫は、ジョジョの世界に間違いなく存在する一人の人間であるにもかかわらず、その実体は読者に対しては完全に隠されるのである。


■ただこの両極端な二面性と作中の情報を基に、中間的な妥協点として空条貞夫の実体を推測することも不可能ではない。例えば空条貞夫の自宅が古風で広大な日本家屋なのは、彼の家系が何らかの霊的才能で成功してきた一族であることを示すものかもしれず、それがジョースターの血統と化学反応を起こした結果、奇跡的に空条承太郎という超人が生まれたのかもしれない。

■また空条貞夫の職業であるジャズという音楽ジャンルには、「即興演奏」という高度なアドリブ演奏を行う文化がある。あるいは空条貞夫はこれに優れた実力を持っており、空条承太郎の即興的な問題解決能力は、それが受け継がれ変質した結果かもしれない。

■ところでジョジョの作者である荒木飛呂彦氏は、ジョジョに登場させるキャラクターを生み出すにあたって「身上調査書」なるものを作って、キャラクターの身長・体重・身体的特徴その他諸々を設定していると語っている。その一部は過去に公開されたこともある。そして空条貞夫の身上調査書も公開されてはいないが、もちろん作られているはずである。しかしそこに何が書かれているかは、読者の立場からは知る由もない。