魂を「立たせる」スタンドと「鎮める」レクイエム

■ジョジョの奇妙な冒険第3部から登場する「スタンド」は、「スタンド使い」と呼ばれる超能力者が操る力である。彼らは一般人とは違い、自分の霊的な領域からエネルギーを引き出すことができ、そのエネルギーにさまざまな姿を与えて行使できる。

■そして個人の精神的な「器」を上限とするスタンドの力は、3部から8部までパワーのインフレを起こすことなく、能力の傾向だけを変えながら存在し続けている。

■しかしジョジョ作中にはごく稀にだが、個人の器の限界を超えた超能力が登場する。その1つがジョジョ5部「黄金の風」の終盤にのみ登場する「レクイエム(鎮魂歌)」と呼ばれる力である。

■レクイエムはスタンド使いが出現させたスタンドを特殊な「矢」で貫くことで発現する。この発現手段の意味は、「集合無意識への穴」を空けることにある。霊的なエネルギーが物質世界に現れたものであるスタンドは、個人の精神のさらに奥深くの領域、地球上の全生物に共通する集合無意識へのつながりを持っている。そこへの穴を矢で空けることで、レクイエムは発現するのである。

■集合無意識から引き出されたレクイエムのエネルギーはスタンドとは全く異なる。スタンドが個々人の「個性」から発揮されるエネルギーであるのに対し、レクイエムはそれとは真逆の、地球上の全生物の精神を混ぜ合わせて「均質化」したエネルギーである。また集合無意識は個々人の精神とは比較にならないくらい巨大である。

■「スタンド」という呼び名はジョジョ3部でジョセフ・ジョースターが説明したとおり、「そばに立つもの」という意味から名付けられている。スタンドは個々人の霊的な個性が物質世界に力強く「確立する」ことで発揮されるものであり、この呼び名は的を射ている。

■一方で「レクイエム」という呼び名は5部でのJ・P・ポルナレフが、「全ての生物の精神を支配する力」から名付けている。強大な集合無意識の力は個々の生物が持つ魂の力を圧倒し、強制的に眠らせたりできる。このような力が「魂を鎮める歌」と呼ばれるのもまた的を射ている。

■レクイエムはスタンドから引き出されるという点ではスタンドの一種と言える。だがエネルギーの性質が真逆であることや、双方の命名理由からすれば、スタンドとは明確に区別されるべきとも言える。

■そしてまたレクイエムは軽々しく使うべきではない「禁断の力」でもある。その理由はレクイエムが「生命の営みの価値」を否定するものだからである。

■我々が生きるこの世界では、無数の人間がさまざまな可能性を試み、失敗と成功を繰り返しながら「先」へと進んでいく。このように個々人が個性を引き立たせながら行動する過程こそが生命の価値であり、ジョジョの物語が示す「人間賛歌」である。

■しかしレクイエムはその価値を無に帰してしまう。作中で最初に発動した「チャリオッツ・レクイエム」は、周囲の全生物の肉体と精神を均質化する能力を持つ。それは「45億年かけて創られてきたこの世界の生き物の歴史」を崩壊させるものである。

■その次に発動した「ゴールド・エクスペリエンス・レクイエム」も別の形で生命の営みを否定する。こちらのレクイエムは、集合無意識に「生命の歴史の経験則」として宿っている「正しい方向へと進化する力」によって、生命が遠い未来に辿り着くであろう「進化した存在」を、かりそめにこの世に呼び覚ます。そしてそれは、ジョジョの物語で繰り返し戒められている「過程を飛ばして結果だけを得る」行いである。

■作中ではこの反則的な能力は、この能力とは別方面での「過程」、この力を得るためにブチャラティチームが歩んだ苦難の道と、アバッキオ、ナランチャ、ブチャラティの犠牲によって埋め合わされ、正当化されている。だがそれでもやはり、この能力自体は正当なものではない。

■ゴールド・E・レクイエムは5部のラスボスであるディアボロの無敵のスタンド、「時間を消し飛ばして結果だけを得る」キング・クリムゾンを倒すために使われた。それはつまり人が及ばぬ強大な邪悪に禁断の力で対抗する、「毒をもって毒を制す」行為なのである。

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