「エイジャの赤石」に残る伝承の解釈

「エイジャの赤石」とは、ジョジョの奇妙な冒険第2部「戦闘潮流」で、重要な役割を果たす特殊な宝石である。

エイジャの赤石

ジョジョの自然界には、ダイヤモンドやエメラルドといった我々の世界にも存在する宝石の他に、「エイジャ」という宝石が存在する。その化学的な組成は不明だが、血のように赤く「赤石」とも呼ばれるその宝石は、外部の一点から強い光を取り込むと、その光を結晶内で何億回も反射させて増幅した後に、反対側の一点から強力な光線として射ち出す性質を持つ。

光線を射ち出す赤石

ジョジョ2部には、人間とは異なる生物種にして強大なる闇の生物である「柱の男」たちが登場する。彼らは闇の生物の宿命として「太陽光」を弱点とする。その克服を目指して数1000年に渡り研究を続けた柱の男の一人カーズが、目をつけた物質こそがエイジャである。

カーズが作った道具の1つである「石仮面」は、「血」で作動し人間の脳を「骨針」で「押す」ことで、人間を闇の生物である吸血鬼に変えることができる。そしてこの石仮面の骨針で柱の男の脳を「押す」ことができれば、柱の男は太陽光を克服できるというのがカーズの出した結論であった。そしてそれには「血」による骨針の作動ではパワーが足りず、エイジャをはめ込んだ石仮面に太陽光(正確には紫外線)を当てて骨針を作動させるパワーが必要となる。

血を吸って作動する石仮面
光で作動するエイジャの石仮面

ちなみにここでいう「押す」とは物理的な意味ではなく、「霊的な領域に向かって押す」という意味である。ジョジョ4部に登場する「弓と矢」という道具は、人間に刺すことでその人間の内的世界、霊的な領域への「穴」を開け、「スタンド」という霊的なパワーを引き出す。石仮面の骨針もまた、生物の脳を押し、突き刺すことで霊的な領域への「穴」を開け、スタンドとは別種の霊的なパワーを引き出すのである。

しかし柱の男の脳を進化させるほど強く「押す」には、普通のエイジャではパワーが足りない。必要とされるのは、十分に大きく、かつ一点の曇りもない、自然が生んだ奇跡の完全結晶「スーパー・エイジャ」である。2部作中で「赤石」「エイジャの赤石」と言う時には、基本的にはこのスーパー・エイジャを指す。


スーパー・エイジャは、おそらく地球上にたった1つしか存在しない。そしてそれはジョジョ2部の時点では、「波紋戦士の一族」の一人リサリサが所持している。波紋戦士の一族は、柱の男を討ち滅ぼすために組織された人間側の勢力であり、人類の歴史の裏に連綿と存在し続けてきた。

そして遠い昔の彼らは「赤石」に関して一つの言い伝えを残している。その内容は、「エイジャの赤石を破壊するとなお奴ら3人を倒せなくなる」というものである。

言い伝えはリサリサの代ではただ愚直に引き継がれており、言い伝えの理由や意味は残されていない。このため言い伝えが先人の論理的思考で得られものか、はたまたジョジョ1部で老師トンペティがウィル・A・ツェペリに授けた「予言」のように、超常的な手段で得られたものかも分からない。

言い伝えを語るリサリサ

普通に考えれば伝承の言葉は、「赤石が柱の男を倒す有効な武器になり」「赤石がなければ柱の男を倒せない」という意味に解釈できる。確かに赤石には太陽光だけでなく「波紋」も増幅する効果があり、波紋を弱点とする柱の男に対して武器として使うことはできる。

ただ作中の波紋戦士たちの攻撃力は、そのままでも柱の男にダメージを与えるに充分であり、波紋戦士が柱の男に苦戦しているのは、柱の男の強大なパワーに押し切られているからというのが大きい。この観点からはむしろ、赤石を武器として持ち出しても奪われるデメリットのほうが大きい。

また「赤石が柱の男相手の有効な駆け引きの材料になる」という解釈も考えられ、実際作中では何度かそのように利用されている。しかし駆け引きで波紋戦士が柱の男を倒せるわけもなく、先人がこの理由で伝承を残したとは考えづらい。

では伝承は伝言ゲームのように伝えられた結果の、何かの間違いかというとそうではない。伝承に確かな意味を持たせる解釈は一つ存在する。おそらく赤石の伝承は超常的な「予言」によって得られた。そしてその予言は、「地球上の生命が進みうる未来の可能性を守る」ためのものである。以下でその詳細について、少し長くなるが説明していく。


柱の男は地球上で人類以外に唯一高等な知性を持ち、また肉体強度・寿命・脳の処理能力の全てにおいて人類を大きく上回る存在である。彼らはあり余るエネルギーと処理能力によって、肉体を細胞レベルで操り、また未知の言語や機械も瞬く間に理解して使いこなす。それは限られたリソースをやりくりして生きる人間とは全く逆の性質である。

その一方でその性質は、人間が他の動植物に対して持っている優位性を極端に推し進めたものともいえる。いずれにせよこの優位性ゆえに、柱の男は人類を劣等種としか見ていない(彼らは作中で人間との知恵比べで負けても、(ワムウ以外は)猿の悪知恵に引っかかったくらいにしか考えない)。

彼らは単に人類の敵というだけではなく、人類に一つの疑問を投げかける存在でもある。即ち、1個の生物が強靭な肉体、不死に近い寿命、優れた脳の処理能力を持てば、それは人類より価値ある存在なのかという疑問である。

もしこの答えをイエスとするなら、彼らこそが地球の支配者として君臨するにふさわしく、人類は人類にとっての家畜のように、彼らに隷属すべきということになる。柱の男の側は疑いなくそう考えている。

一方、人類がその答えをノーとするなら、人類が取れる行動は「戦う」ことだけである。たとえ論理的にどうであろうと、抗いもせずに屈従するよりは、人類の誇りをかけて戦い、勝利することが人類の正当性を証明するのである。


ここで少し話を変える。この世界で成長する全てのものには、「ある時期にしか体験できないこと」がある。それは人が子供から大人へ成長する際に訪れる思春期や反抗期であり、両親が老いて亡くなる前にしか行えない両親と真っ向から対峙する機会である。理想的にはこれらはしっかりと体験していったほうが、人はまっすぐ健やかに成長していける。

人間一人の人生という「個人」レベルの話であれば、思春期や反抗期を満足に体験しなかった者も、両親と真っ向から向き合えなかった者も、無数の人間の中の1つの個性として許容される。しかし「人類」という地球上でたった一つの存在では、その歴史の要所要所に訪れる「何かを体験する一度きりの機会」は、可能な限り全てを貪欲に体験することが望ましい。そしてそれによってもたらされる「人類の健やかな成長」は、未来に生きる人間一人一人の幸福にもつながる。

人類の強大な敵である柱の男は、人類から見てその歴史に用意された「乗り越えるべき試練」である。そして柱の男にはさらなる進化の余地、エイジャの赤石を使って「究極生命体」へと進化する余地が残されている。

この「柱の男の進化」は人類の側からすれば、試練をさらに大きく、ハイリスクハイリターンなものとする「貪欲な選択肢」である。この視点から見ると伝承にある「柱の男を倒せなくなる」という言葉は、「進化した完全状態の柱の男を乗り越える機会を失う」という意味だと解釈できる(これはジョジョ7部でヴァレンタイン大統領が語った、「新しい時代の幕開けには必ず試練がある」「試練は強敵であるほど良い」という考えと同じである)。

もちろん人類にとっての安全策が赤石の破壊であるのは間違いない。そしてただの柱の男を滅ぼした先にも人類の未来は拓けているのだろう。しかし赤石を破壊すれば「人類が究極生命体を乗り越える機会」は永遠に失われてしまう。波紋戦士が伝承を愚直に守り赤石を破壊せずにいるのは、人類が「安全な道」と「貪欲な道」、どちらにも進める可能性を残すために極めて好都合なのである。

またこの伝承はさらに別の角度からも見ることができる。伝承を超常的な予言として授けたものはおそらく、ジョジョの世界において運命を操るもの、かつてジョジョ1部の終わりでディオが語った存在、即ち「神」である。そして神がもし「人類」と「柱の男」を同列に見ているのなら、「赤石の保護」は柱の男が勝利した場合にも大きな意味を持つ。スーパー・エイジャは柱の男が「先に進む」ために不可欠なものであり、彼らが地球の支配者となった時にすでに破壊されてしまっていたという結末は、神からすればあってはならないのである。

いずれにせよジョジョの世界では、究極生命体が生まれ、人類はその強大な試練を乗り越えた。そして人類にとって非常に貴重なこの体験は、その先の時代を生きる人間たちにある一つの「資格」を与える。ジョジョ3部以降に訪れる「スタンド能力者の隆盛」はその賜物であるのだが、これについてはまた別頁で語ることにする。