「貴人」な「奇人」花京院典明

花京院典明は、ジョジョの奇妙な冒険第3部「スターダストクルセイダース」に登場する日本人の高校生であり、生まれつきのスタンド使いである。

花京院典明

気品ある顔立ちと物静かな立ち居振る舞いが人目を引く彼は、最初はDIOの「肉の芽」で操られた刺客として主人公の空条承太郎を襲撃する。しかし返り討ちにされ肉の芽の呪縛から救われた後、DIOを倒す承太郎たちの旅に同行することになる。

その50日の旅路での彼の性格は、基本的には常識的で礼儀正しい。しかしその一方で彼は、時々明らかに「異常」な言動を見せたりもする。また彼のスタンド「ハイエロファントグリーン」も、基本は人型だが触手状にもなれるという異様な構造をしている。

承太郎の前で奇行を見せる花京院
触手状に変化するハイエロファント

そしてこの「普通」と「異常」のどちらが彼の生来の性質かといえば、それは「異常」の方である。


花京院典明の精神に生まれつき備わった最大の特徴は、「人の器にとらわれない自由さ」である。彼の思考や行動には普通の人間のような「常識」と「非常識」の境が希薄で、たやすく非常識の側へと踏み越える。彼のハイエロファントが人の器にとらわれず、不定形な姿に変形できるのも、このスタンドが彼の精神の自由さを反映しているからである。

しかし花京院は幼少時に、自分の自由すぎる言動が周囲には「異常」「奇行」とされるものであることを学習する。そこで彼は自分の精神を締めつけ、常識的な型にはめることで、周囲からの奇異の目を避けようとした。作中での彼が礼儀正しく振る舞い、学生服の詰め襟まできっちり締めているのは、彼の生来の性質ではなく、生来の性質を抑えようとする反作用である。

こうして花京院は、生まれ持った本質は「奇人」でありながら、表向きはまるで「貴人」のような雰囲気をまとうことになる。


また花京院の貴族的な雰囲気は、生来の奇人的精神の反作用というだけではなく、奇人的精神の延長でもある。前述したとおり彼の思考や発想は常識の枠にとらわれず、非常識な領域にもたやすく踏み込む。これは裏を返せば、彼は一般人より「視野が広い」ということを意味する。

例えばある土地に引っ越してきた者が、買い物その他の用事で出かけるときに、大通りなどの常識的なルートでしか行き来しないのと、裏道を駆使したり寄り道しまくったりするのとでは、当然後者のほうがその土地への視野は広くなる。それと同様に、自由な思考や発想ができる花京院は、彼に比べて常識的な思考や発想しかできない一般人よりも、精神的な視野が広い(ちなみにハイエロファントグリーンが暗示する「法皇」のタロットの解釈は、物事を広範囲に知る「探索」である)。

このような花京院の発想の自由さは作中では、エンペラー&ハングドマン戦で仲間のポルナレフをエメラルドスプラッシュで撃って助けたシーンなどに見ることができる。

そして常識しか知らない一般人を「持たざる者」とすれば、常識と非常識をともに知る花京院は「持つ者」である。花京院は「持たざる者」たちを見下しはしないが、その一方で「持つ者」である自分に特権意識と誇りを持ってもいる。それが彼に高貴な雰囲気を与えているのである。


花京院典明は常識はずれな奇人的精神によってスタンド使いに生まれついた。ただし花京院の両親は(DIOとの最終決戦での花京院の回想を聞く限り)どちらも常識的な一般人らしい。花京院典明がスタンドの才能を生まれ持ったのは、おそらく両親からの遺伝が偶発的な変異を起こした結果である。それは宝くじが当たるような、あるいは隕石にぶつかられるような純然たる偶然である。

そうしてスタンド使いに生まれた花京院典明は、幼い頃から普通の人には見えないものを見、普通の人には知りえないものを知ることができた。しかしそれは彼にとってあまり幸福なことではなかった。

彼がその特異な精神で見たり知ったりすることは、彼にとっては紛れもない事実で真実である。しかし彼の家族や周囲の人々にとっては奇想妄想のたぐいである。そしてその食い違いゆえに、彼はどれだけ望もうと、家族、学校のクラスメイト、その他周囲の人々と「真に気持ちをかよい合わせる」ことはできない。

こうして花京院典明は、みんなに混ざり合えない疎外感と、みんなが知らないものを知っている特権意識の中で成長していく。そして誰ともわかり合えない代わりに、自分が「持つ者」であり「強者の側」であるというプライドが、孤独な彼の心の支えだった。

しかし花京院は17歳の夏、家族とのエジプト旅行でDIOと出会い、DIOの邪悪で桁外れなオーラに圧倒されて屈服し、強者としてのプライドを完全に砕かれてしまう。

DIOとの出会いを思い返す花京院

その3ヶ月後、3部序盤で花京院が承太郎たちとともにDIOを倒す旅に出た理由は、自分を助けてくれた承太郎への恩義や、承太郎の母親であるホリィの人柄を見て彼女を救いたいと思ったからと描写されている。それらも確かに理由ではある。しかしそれと同時に、3部終盤のダービー弟戦で語られたように、かつてDIOに精神的に屈した自分を許せず、その屈辱を晴らすためというのも大きな理由である。

そしてその50日の旅路で花京院は、自分と同じものが見えるスタンド使いの仲間たちと、これまでの孤独な人生とは正反対に、「真に気持ちがかよい合う」日々を過ごす。それは彼にとって思いがけない幸福であり、何物にも代えがたい日々であったろう。

またその旅の中で彼は、「ジョースターの血統」である承太郎とジョセフの行動に宿る「正義の心」に感化され、DIOに対して単なる雪辱だけではない、DIOの邪悪から世界を救うことへの使命にも目覚めていく。

花京院はDIOとの最終決戦で、致命傷を負うのと引き換えに「DIOのスタンドの謎」を解き明かし、それを仲間に伝えてこの世を去る。それは生まれ持った奇怪な特権によって高貴な性格に育った彼が、己の信念のもとに為した強者の務め、彼なりのノブレスオブリージュといえるものである。彼はそれによって弱き人々、真に気持ちをかよい合わせることはできなかったが深く思っていた両親たちが暮らす世界を救ったのである。