地図に描かれぬ「星屑」の巡礼者
ジョジョの奇妙な冒険第3部「スターダストクルセイダース」は、主人公の空条承太郎とその祖父ジョセフ・ジョースターたちからなる「ジョースター一行」が、吸血鬼DIOを倒すため日本からエジプトまで旅するロードムービー的な物語である。
その旅はDIOが差し向ける刺客と戦いながら進められていく。彼らは全員が「スタンド使い」と呼ばれる超能力者であり、その能力は一人一人異なる。
3部に登場するスタンド能力は、「22枚のタロットカード」とその起源とされる「エジプト9栄神のカード」に対応し、それぞれのカードの解釈に関係した能力を持っている(例えばジョセフのスタンド「ハーミットパープル」は「隠者」のタロットに対応し、「選出」の解釈を持つその能力は、選択した物体の霊的情報をラジオのように受信できる)。また3部には、上記のカードに当てはまらないスタンド能力も3つ登場する。
そしてこれらのスタンド能力には、『生命の樹』と呼ばれる図形が深く関係している。生命の樹は「10個の円」とそれを結ぶ「22本の線」から構成される。またこの図形は、左右への曲がりで「4つの状態」を持つ。これらがそれぞれ「9栄神」「タロット」「その他3つ」に対応するわけである(タロット以外の数が1つずつ少ない理由はここでは割愛する)。
そして生命の樹という図形が表すのは、「この世の万物が成長する際に辿る普遍的な変化」である。例えば生命の樹の中心を走る「女教皇」「節制」「世界」のタロットはそれぞれ、「摂取」「吸収」「変容」の解釈を持つ。これは例えば芋虫が蝶への成長で行う「食事」「消化」「変態」に符合する。
また人が武道を極めていく過程を表す有名な言葉として「守破離」というものがある。これはまず決められた型をそのまま真似し、次にそれを自分なりにアレンジし、最後には完全な別物へと昇華させるという意味である。この過程もまた、生命の樹の中心を走る3つのタロットの順番に符合している。
このように生命の樹は物事の種類を問わず、この世の万物が成長する過程を普遍的に表している。
そして3部のスタンド30数体が、生命の樹に配置される能力を持つのは、3部が「スタンドの時代の始まり」となる部だからである。例えばこの宇宙の進化の歴史は、120種ほどの単純な「原子」の創造から始まっている。それと同じくスタンドの歴史も、「生命の原子」といえる30数種の「生命の樹のスタンド」から始まったのである。
ところでこの生命の樹には一つの逸話がある。聖書においてアダムとイブが、「知恵の樹の実」を食べたがためにエデンの園を追放されたというのは有名な話である。しかしエデンには実は「生命の樹」も、実体を持った樹として存在していた。そしてもしアダムとイブが「生命の樹の実」をも食べると、二人は「神に等しい永遠の命」を得てしまうため、神は彼らをエデンから追放したという逸話である。
この世の万物に適用できる成長の原理を表す生命の樹は、その性質上永遠にして不変である。ゆえにこれを物理的実体として人間が食して血肉とすれば、その肉体と精神も永遠にして不変になるというわけである。
そして奇しくもDIOという人物は、上記の人間に非常によく似た存在である。吸血鬼である彼の肉体は老いることがなく、さらに高い再生能力も備える。また彼の精神は「効率的な成長」を強く志向し、そのための方法論を人の世の正義より優先する。その方法論とはつまりは「生命の樹の論理」である。
そしてDIOの目的は、全世界をこの「生命の樹の論理」で染め上げ支配することである。それが成された世界では、「生命の樹の実」を食べたに等しいDIOは「知」と「力」において絶対者となり、この世に彼に逆らうものは何ひとつなくなり、彼は永遠の安心を手に入れることができる。
物事を最大効率で成長させられる「生命の樹の論理」は、「地図」的な視点と言い換えることができる。道のつながりを上方から俯瞰し、道を辿るのに必要な物だけが描かれた地図は、目的地まで最短で辿り着くための有効な道具である。生命の樹もまた成長の道を辿るために必要最低限な要素だけを記した地図である。
しかし地図は本物の世界を抽象化したものであるがゆえに、本物の世界にある雑多で細々とした物は描かれていない。そして生命の樹にもまた、本物の生命にある「雑多で些末な多様性」は不要な情報として描かれていない。
生命の樹はさらに言い換えれば、夜空の星のうち、肉眼ではっきり見える星だけをつないで作り出された「星座」といえる。しかし実際はその図形内には、弱く小さな「星屑」の光も、確かに存在しているのである。
そしてジョースター一行の旅は、この「星屑」の光をDIOの魔の手から守るためのものである。まず彼らが旅に出たのはそもそも、ジョセフの娘であり承太郎の母親である空条ホリィが、DIOから届く思念に害されて生命の危険に陥ったからである。彼女の命は「星屑」の一つであり、ジョセフたちはその光がDIOの力にかき消されてしまう運命から救うため旅に出た。
さらにジョースター一行はその旅路で、世界各国の人々がそれぞれの文化の中で、活き活きと生きるさまを体験する。それらの営みもまたDIOが世界を支配すれば失われてしまうであろう無数の「星屑」であり、ジョースター一行の旅は地図に描かれないそれらを見聞する「巡礼」の旅でもある。
かつてキリスト教徒は、彼らの聖地エルサレムをイスラム教徒から奪還するため、「十字軍」と呼ばれる軍隊を結成してエルサレムに遠征したとされる。そしてこのキリスト教とイスラム教は、起源を辿れば同じ宗教からの派生である。
これを踏まえてジョジョ3部は、同じ「生命の樹」から生まれたスタンドを持つDIOとジョースター一行が、「大局的な論理」と「星屑の論理」に分かれて戦い、ジョースター一行の旅はそのための遠征である。ジョジョ3部の副題が「スターダストクルセイダース(星屑十字軍)」と名付けられているのはこの連想が理由であろう。
ジョースター一行は旅の終わりのDIOとの決戦で、50日の旅路で培われた思い出を胸に戦い、仲間に後を託しながら一人また一人と倒れていく。そして戦いの最終局面で、承太郎は過程を重視した戦い方にこだわり、DIOは結果だけを求めた戦法をとり、互いに全身全霊の一撃を放つ。そしてその結果、DIOは真っ二つに砕かれて完全敗北・死亡する。それはすなわち、ジョースター一行の司る「星屑を束ねた生命の力」が、DIOの司る「大局的な生命の理」を完全に上回ったことを意味している。
こうしてジョジョの世界の「雑多な多様性」は、DIOの魔手から守られることになる。
そしてジョジョ3部から10年後の世界で始まったジョジョ4部は、「杜王町」という一つの町が舞台となる。杜王町は3部の旅路であれば、簡単に通り過ぎられる程度の小さな町である。しかし4部ではその狭い土地にスタンド使いが大量発生し、彼らの起こす事件が描かれていく。
この土地に生まれてくるスタンドたちは、「生命の樹の暗示」に縛られていた3部のスタンドとは異なり、町の住人たちの「特異で強烈な個性」から直接生まれている。そしてこれらのスタンドは(作者の荒木飛呂彦氏も語っているとおり)3部のスタンドより「弱い」傾向を持つ。このような4部のスタンドはつまりは、生命の樹という星座の中に光る無数の「星屑」、その一つ一つに相当するスタンドである。
そしてそれら「星屑のスタンド」を持つ者たちの営みは、ジョジョの世界におけるスタンドの進化の歴史、その新たな可能性を切り拓いていくことになる。