「反転」していく冒険譚

■「ジョジョの奇妙な冒険」という漫画作品は知ってのとおり、物語が1つ完結するたびに「部」が変わり、「主人公」と「舞台」が変わっていく物語である。そしてそれらが切り替わる際には、「作風」もかなり変化する。ジョジョは各部に対する読者個々人の好みが分かれやすいが、それは作風の変化が大きいことの証左である。

■ジョジョが部をまたぐ際に起こる変化は多岐にわたるが、それらは前の部からただ適当に変えられているわけではない。それらの変化には「中心軸」となるものがあり、ジョジョはそれを「反転」することで作風をガラリと変え、新たな物語を紡ぎ出している。

■そして中心軸以外の変化、例えば「絵柄」や「キャラクターのファッションの変化」は、軸の反転に引きずられて自然に起こっている。その結果、多岐にわたる変化が起こるのである。(この手法での作風の変化は、作者にとって感覚的で馴染みやすく、混乱を生まないやり方である) 

■それでは以下で、ジョジョの各部において前の部から何が「反転」しているのかを詳しく見ていく。

ファントムブラッド→戦闘潮流(1部→2部)

生真面目主人公のジョナサン・ジョースターから、不真面目主人公のジョセフ・ジョースターへ。主人公の性格は正反対だが、1部と2部のストーリー構成自体は、「闇の生物」を追いながら戦っていくという点で共通している。

ただ1部から2部では敵となる闇の生物が、「吸血鬼」よりも遥かに強大な「柱の男」へとパワーアップしている。ジョナサンもジョセフも作中で波紋法の修行を行い、超人レベルの波紋パワーを身につけている。その上でジョナサンは吸血鬼のディオと互角である。つまりジョセフは波紋パワーだけでは柱の男に全く歯が立たないことになる。

しかしジョセフはその差を「術策」や「手品のトリック」や「口車」で補い、柱の男と互角に渡り合っていく。それらは不真面目主人公ジョセフならではの武器であり、その点でもジョセフへの主役交代は自然な転換である。

戦闘潮流→スターダストクルセイダース(2部→3部)

肉体を用いて発揮される「波紋法」や「闇の生物」の能力から、肉体に束縛されない超能力である「スタンド」へ。知ってのとおり3部以降の部は全て「スタンドの部」であり、その意味でもここでの転換は大きい。

また「肉体能力」という括りで言えば、「ジョジョの奇妙な冒険」以前の荒木飛呂彦作品である「バオー来訪者」や「ゴージャス☆アイリン」も1〜2部の流れに属している。つまり2部から3部で起こった転換は、ジョジョのみならず「それまでの荒木飛呂彦作品」からの転換点ともいえるものである。

スターダストクルセイダース→ダイヤモンドは砕けない(3部→4部)

地球を半周する旅行記から、ひとつの町内だけで完結する物語へ。また4部では、スタンド使いを生み出す道具である「矢」によって、普通の学生や町民がスタンド使いになっている。

これによって4部では、スタンド使いが町から浮いた超常的な存在ではなく、町の生活に溶け込んだ存在として登場する。これは3部でのジョースター一行と敵スタンド使いの戦いが、たまたまその土地で行われる行きずりのものだったのとは対照的である。

ダイヤモンドは砕けない→黄金の風(4部→5部)

「殺人」が非常に重い行為である日常の世界から、相手を殺すのが当然なギャングの世界へ。つまりは表社会から裏社会への反転である。

なお5部に登場するスタンド使いのほとんどを生み出した「ポルポの矢」は、裏社会の住人にふさわしい「邪悪で凶悪な能力」を与える特性を持ち、これはスタンドバトルの激化に一役買っている。

黄金の風→ストーンオーシャン(5部→6部)

運命を無効化する力を持った「悪魔」を倒す物語から、運命の力で人類を支配しようとする「神父」の計画を阻止する物語へ。また、5部では主人公のジョルノ・ジョバァーナが「DIOの息子」であるのに対して、6部では敵側のエンリコ・プッチ神父が「DIOの遺志を継ぐ者」であり、ジョルノ以外の「DIOの息子たち」も敵として登場する。つまり5部でも6部でもDIOの側の者は、「運命に与する側」にある。

そしてこれに関連して、ジョジョでは主人公側のキャラクターは基本「運命」というものを「切り開く」ために行動する。例えば6部の空条徐倫やエルメェスたちの戦いは、まさに運命に抗い切り開くためのものである。一方で「運命に与する」ジョルノやブチャラティたちの戦いは、運命を「解き放つ」ためのものである。

ジョジョの世界には「難易度の高い運命」とでも呼ぶべきもの、つまりいつか必ず起こりはするが、難易度の高さゆえになかなか実現せず先送りにされていく運命がある。「強大な力を持った悪魔ディアボロの打倒」はまさにその類であり、ジョルノたちはその運命を「解き放つ」べく選ばれた兵士なのである。

ストーンオーシャン→スティール・ボール・ラン(6部→7部)

ストーリーのためにキャラクターが存在する世界から、キャラクターのためにストーリーが存在する世界へ。6部での登場人物たちはその全員が、世界を定められた結末へと向かわせる「強力な運命の力」に導かれ、ある者はそれに抗い、ある者はそれに従っていた。

一方7部での登場人物たちには、世界からの運命の力は特に働かない。彼らは自分の命の内に宿る「宿命」だけに導かれ、ある者はそれに抗い、ある者はそれに従っている。

6部と違って7部の世界には「定められたストーリー」は用意されていない。代わりに宿命に立ち向かう者たちの「歩み」がストーリーとなり、結末もそれによって決まることになる。

スティール・ボール・ラン→ジョジョリオン(7部→8部)

※8部が未完結のため、以下は暫定になります。

「出来事が集束」していく物語から、「出来事が拡散」していく物語へ。アメリカ大陸横断レースSBRを描くジョジョ7部は、レースの優勝者などさまざまなことが「未知」の状態で始まる。そして物語で起こる出来事や明らかにされていく事実が、物語を「集束」させ、「終わり」へと向かわせていく。

例えばレースの参加者がどんどんリタイアしていくことで、優勝者はだんだん少数に絞られていく。またSBRのレースコース上には、9つの部位に分かれた「聖なる遺体」なるものが存在し、バラバラに拡散していたそれらはレースとともに集められ、一つに結合していく。そしてレースの優勝者の確定と、全て揃った遺体の安置によって、7部の物語は終息する。

一方ジョジョ8部も、さまざまなことが「未知」の状態で始まるという点では7部と同じである。しかし8部の物語の中で起こる出来事や明らかにされていく事実は、7部とは逆に物語を「拡散」させ「終わりを見えなくする」方向へと働いている。このため8部のストーリーは謎が謎を呼んで混迷を極め、20巻以上物語が続いてなお、未だに誰が「最後の敵」さえかもわからない。

ところで、我々が生きるこの宇宙は「膨張・拡散」していることが知られている。そしてこのような宇宙は、永遠に膨張を続けるか、どこかの時点で収縮に転じるかするとされる。ジョジョ8部の物語もこのどちらかの道をたどるのか、それとも全く異なる道へ向かうのか、それはまだ不明である。


■そしてこれらの反転が起こる原動力は、ジョジョの「作者」「登場人物」「物語世界」の全てに宿っている意志、未開拓の領域を求め、新たなことを試み、先に進み続けようとする意志、つまりは「前向きさ」なのであろう。