「黄金の風」が吹いた意味

ギャング・スターに憧れる少年ジョルノ・ジョバァーナが、麻薬密売を行うギャング組織のボスを倒すまでを描いた、ジョジョの奇妙な冒険第5部「黄金の風」は、1話から最終話までの経過日数が非常に短いことが知られている。

ジョルノ・ジョバァーナ

1部〜4部、6部〜8部はどの部も「数ヶ月」かそれ以上の期間が経過している。対して5部は、話数は他の部と大差ないにもかかわらず、ほんの「一週間余り」しか経過していない。そして、このように5部が非常に短い日数で怒涛のように進んだことには理由がある。

ジョルノたちが立ち向かうギャング組織のボス「ディアボロ」は、イタリア語で「悪魔」を意味するその名が示すとおり、人の域を超えた邪悪で強大な力を宿した存在である。そのスタンド「キング・クリムゾン」は、「未来を予知し、不都合な未来を消し飛ばす」という自他ともに認める無敵の能力である。

ディアボロ
弾丸の命中を無効化するキング・クリムゾン

そのうえ彼は、組織の誰にも姿を見せず、巧妙に正体を隠してもいる。そうして彼は誰にも邪魔される恐れなく、世界の闇の側から、組織を通じて世界を蝕んでいる。

これほどの邪悪で強大な悪魔を、人の身に過ぎないジョルノやブチャラティたちが倒すには、欠かせぬいくつかの手順が必要となる。それは大まかに、「正体不明のボスをボスと認識して出会うこと」「ボスの無敵の能力を体験・理解した上で逃げのびること」「ボスの無敵の能力に対抗できる術を手に入れること」である。

以上の手順はその1つ1つが不可能に近い事柄である。しかしブチャラティチームはギリギリの綱渡りでそれらを実現していく。

そしてこれらが実現した裏には、ジョジョの世界において運命を操り導く「神」の存在がある。「運命を操る」神にとって、「運命を無力化する」ディアボロはまさに神敵であり、率先して世界から消し去るべき存在である。

しかし神が運命を操りジョルノたちを助けてなお、ディアボロの打倒は容易ではない。神とは真逆のディアボロの力の前では、神が用意した運命は「必ず起こること」ではなく、「低確率でしか起こらないこと」に弱められてしまうからである。

そこで神は、ディアボロ打倒のために用意した数多の運命を、可能な限りの短期間に集中させて畳み掛けるという手段を用いた。この一点集中によって運命の力は何倍にも増幅され、ディアボロは最終的に「ゴールド・E・レクイエム」の能力で因果の彼方に追放されることになる。

ところで5部のストーリーが神によって紡がれたものとするなら、ジョルノやブチャラティたちは「運命に操られた奴隷」に過ぎないことになる。しかし彼らに与えられた役割は誰にでも実現できることではなく、彼らがそれを成し遂げたことには確かな価値がある。

神を演劇の脚本家とするなら、神が描いたシナリオはその時点ではまだ「眠っている」状態でしかない。神のシナリオを生命力豊かに演じきり、現実のものとして「目醒めさせ」「解き放つ」のは、やはりジョルノやブチャラティたち「人」なのである。

そしてジョジョ5部の副題である「黄金の風」とはおそらく、神と人の連携で成された、世界からディアボロを押し流すための「運命の強風」である。


このように5部の物語は「神と人」が「悪魔」を倒す物語である。しかし当の悪魔であるディアボロは5部の最終決戦で、これとは異なる見解を語っている。「我々はみな運命に選ばれた兵士」「だが運命を覆す力を与えられた自分だけは兵士ではない」という内容の独白がそれである。つまりディアボロには自分が「神に敵対する悪魔」だという自覚はなく、それどころかこの世界で自分だけが「神から特権を与えられた帝王」だと信じていた。

ディアボロの独白

ディアボロのこの考えを、彼自身の思い込みと切り捨てるのは容易い。しかしあるいは彼の考えは正しいのかもしれない。つまりディアボロなる「悪魔」は、「神」の意思によって造られた可能性がある。

我々人間が行う「風習」の中には、文化的なつながりが無いにもかかわらず世界各地で共通するものがいくつかある。その1つが西洋の「スケープゴート」や日本の「節分」など、「身の回りの厄災や罪を1つの対象に背負わせ、それを彼方に追放する」という風習である。

人が行うこれらの風習に超常的な効果があるかは怪しく、特に現代では縁起をかついだり民心を安定させる偽薬的な意味が強い。しかし超常的な力を操る神であれば、この風習をその文言どおりのこととして行えるはずである。

神がジョジョの世界で運命を操る力は、充分ではあるが完全ではない。その理由は世界の中に「運命を狂わせる要素」が、床に溜まったホコリのように広く薄く存在しているからである。そしてそれらは時計の中のホコリが時に歯車の動きを狂わせるように、神が導く運命を狂わせる。

この状況に対して神は、まず世界の中に散らばっている「運命を狂わせる要素」を、ホウキでチリを掃き集めるようにして、可能な限り集めた。こうして密度が高まり、濃縮されたそれはある種の「精」となり、一人の人間の女性に注がれた。こうして生まれたのが人の肉体に悪魔の魂を宿した赤子、ディアボロである。そしてディアボロは魂の成長とともにさらに、「運命を狂わせる要素」をその身に引き寄せ、摂取し、蓄えていく。

ディアボロの出生

その上で神は、ディアボロの中に「運命を狂わせる要素」が充分に溜まり、肥大した時期を見計らって「黄金の風」を起こし、この悪魔を因果の彼方に追放したわけである。

そしてこの観点から見ると、ディアボロが「ゴールド・E・レクイエム」によって「終わりのない終わり」を迎えたことにも意味がある。つまりディアボロをただ単に殺してしまっては、彼に背負わせた「運命を狂わせる要素」は再び世界の中に拡散してしまうため、このような終わりが必要だったのである。

とはいえ「神がディアボロを造った」というのはあくまで仮説に過ぎない。ディアボロが「運命を狂わせる要素」の濃縮体として生まれたのは疑いない。だがそれは「スタンド使いが引かれ合う」のと同じように、引力で自然に集まっただけかもしれず、神はその異常事態を受けて対策を講じただけかもしれない。

ただ何が真実にせよ、ジョジョ5部の物語の結果、神にとって世界は以前よりはるかに運命を紡ぐのに適した状態になった。それだけは確かなことである。