「有機的なスタンド」は無機的解釈では矛盾する

ジョジョの奇妙な冒険第3部から登場する「スタンド」は、知ってのとおり「絵として描かれる超能力」である。スタンドは「生命エネルギー」という非物質的なエネルギーからできており、スタンド使い本体の精神に応じてさまざまな姿を持つ。この姿を動かしてスタンドは超能力を行使する。

そしてこのエネルギー体は、ソフトビニールの人形のように均質な素材がただ形をとっているわけではない。スタンドの体は非常に「複雑」かつ「有機的」に作られており、その複雑さは分子レベルで有機的に構築された現実の生物にも引けを取らない。つまり千差万別な能力を持つスタンドは、その1体1体が「霊的な新生物」といえる。

そしてそれゆえに、スタンドにデザインされている構造や器官は、意味もなくただそうなっているのではない。そこには現実の生物と同じく確かな「必然性」がある。

例えば「ハイエロファントグリーン」というスタンドは「人型の姿をアメーバ状に変形させる」ことができ、またその体内には大量の体液が流れている。このような半流体的な性質ゆえにハイエロファントは、型崩れを防ぐために身体各所が外骨格のようなもので補強され、また体液の漏出を防ぐために口と鼻がマスクで覆われている。

そしてスタンドが持つ「能力」も、それがどれだけ超常的なものであろうと、現実の生物が持つ能力、例えば「カメレオンの体色変化」や「サソリが生産する毒」などと同じく、スタンドの体にある「有機的な仕組み」で実現されている。ただスタンドは霊的がゆえに、物理的限界に縛られた現実の生物よりも超常的なことを起こせるだけのことである。

例えば「ハングドマン」という人型スタンドは「鏡に映る風景に入り込む」という現実離れした能力を持つが、これにもそれを実現する「霊的な仕組み」がある。このスタンドはまず「左手が右手になっている」が、この手は「4次元空間を介して霊的に鏡像反転された手」であり、これが「鏡に入り込む」能力の糸口となっている。さらにハングドマンは左手用の手袋を裏返して右手用に変えるように、人型スタンドを表裏ひっくり返した構造になっており、これによってスタンドの全身も鏡像反転させている。その結果このスタンドは「反転された鏡の風景に入れる」のである。

ジョジョのスタンド能力は作中で「遠く離れた場所を念写する」「壊れた物を直す」というように単純に説明される。しかしスタンド能力は、どんな状況でも100%その説明どおりに動作するとは限らない。スタンドはその体にある「有機的な仕組み」が上手く働かなければ、効果を発揮しなかったりイレギュラーな動作を起こしたりする。

これは現実の生物でも同じである。例えばヤモリは「壁や天井に貼り付いて歩ける」という能力を持つが、テフロン加工のフライパンのように貼り付けない素材もある。これは「壁を歩ける」という能力を言葉どおりに受け取れば矛盾だが、無論そうではない。ヤモリが壁に貼り付く有機的な仕組みが、特定の素材には通用しないというだけの話である。

また例えば夜行性の虫は「街灯に集まる」習性を持つが、これは生存に有利だから行っているわけではなく、イレギュラーな行動である。人間が人工的な灯りを作るまでは、夜の世界には月などの「遥か遠くの光」しか無く、虫はそれらの光を基準に移動するための本能を発達させた。しかしその本能が街灯のような「すぐ近くにある光」にそのまま使用されると、虫は街灯に集まる異常行動をとってしまうのである。

これらと同様に、スタンド能力が「説明とは異なる動作」や「意味不明な動作」をしたとしても、それは矛盾ではない。生物学者が現実の生物を研究するように、スタンド能力もその原理を深く調べれば、矛盾しているかのように動作した原因は必ず突き止められる。

例えば「アクア・ネックレス」という液体状のスタンドは、作中で「非力なスタンド」と解説され、実際にガラスさえ割ることができない。しかし一方でこのスタンドは、人体を内部から破裂させたり、絞首刑にされた本体を死なせなかったりと、パワーが必要な行動もこなしている。しかしこれは矛盾ではない。このスタンドは「水分を通す物体」に浸透して細かく根を張ることができ、この根を膨張させるなどすれば、擬似的にパワーがあるかのように振る舞えるのである。

このようにジョジョ作中でスタンドが起こす一見矛盾した挙動には、全てしかるべき理由がある。ただし生物学の分野に未解決の問題(例えば渡り鳥が迷わない理由やシマウマの縞の理由など)が数多くあるように、150種以上存在するスタンドの原理を全て解き明かすのも、また容易ではない。


ところでスタンドのこのような「有機的な複雑さ」には1つの疑問が残る。それは現実の生物に比肩するほどのスタンドの身体構造が、どのような過程を経て作り出されるかである。

現実の生物たちが持つ「軽量化され尽くした鳥の体」や、「電気ウナギの発電細胞」等は、数100万年あるいはそれ以上の途方もない年月をかけて、「無限の試行錯誤と最適化」を繰り返した成果として得られたものである。これと同列に考えれば、現実の生物と同等の複雑さによって超能力を実現するスタンドの体もまた、人の一生などはるかに超えた年月がなければ作り出せないはずである。

そしてこの疑問の答えは、ジョジョ2部の終盤に誕生した「究極生命体」なる存在にある。

「柱の男」と呼ばれる人を超えた生物種であるカーズがさらに進化して生まれた「究極生命体」は、「あらゆる生物の能力を兼ね備え、しかもそれを上回る」という、まさに究極の生命能力を持っている。例えば彼は両腕を翼に変えて空を飛んだり、皮膚を甲殻類の殻に変えて全身を隙間なく覆ったりできる。

そしてこれら変身時の姿は、「ギリシアの彫刻のように美しさを基本形とする」と解説されている。これはつまり、カーズは彼本来の姿である人型に他の生物の姿と能力を組み合わせるとき、「無限の試行錯誤と最適化」をまたたく間に完了し、「1つの生物として完成された美しい姿」をその場で作り出せることを意味している。

そしてジョジョ3部以降で人類が生み出すスタンドの体にも、これと同じ力が働いている。この力を使うことで人類は、時間的限界を無視して「有機的に複雑なスタンド」を、能力を万全に発揮できる「完成された姿」で作り出せるのである。

本来は究極生命体のものであるこの力を、人類がスタンドに利用できている理由は2つある。1つはジョジョの世界において、地球上の全生命の活動を記憶する「集合無意識」という霊的領域の存在である。究極生命体が生まれた時点で集合無意識は、それが切り拓いた「無限の試行錯誤と最適化を短時間で行う術」を記憶に刻み込んだ。これによってこの記憶は、当の究極生命体が宇宙に放逐された後も、地球上に保存され続ける。

もう1つの理由は、「人類が究極生命体を打ち破ったこと」である。この偉大なる勝利によって、人類は究極生命体に霊的に並び立ち、その力を利用する資格を得た。ただし究極生命体より肉体的に劣る人類は、この力をそのまま使うことはできない。代わりに人類はそれを自分たちの体から発する生命エネルギーに用いて、超能力を持つ霊的生物「スタンド」を創造したのである。

ジョジョ3部の地球に興った「スタンドの大量発生」は、ジョジョ2部までの地球に起こった「生命進化の歴史」と「究極生命体の誕生」から地続きの歴史である。そしてこの歴史を受け継いだスタンドという「千差万別の霊的生物」は、ジョジョの物語とともに、さらに複雑に進化していくことになる。